おはようございます!
本日は民宿うらしまさんより起床。
7/26(金)、四国お遍路17日目 今日はちょっとだけラッキーステージ…もありつつまた高知の難所が出てきます。
それでは今日も元気に、おへんろ!
朝ごはん ういろう、ビスケット、カロリーメイトとお菓子ばっかり…
民宿うらしまさんの隣には休憩小屋がありました。
7:06 いざ昨日まわれなかったお寺へ出発!
まずは山登り!
今日は青空がチラチラ見える曇り空。雨の予報なので早めに登りきりたい。
くじらのシャッターがかわいい。
段々と山道に入っていきます。
舗装路だけど結構登るの大変だ…
祠がぽつぽつあります。
ある程度登りふと横を見ると…
合間から見えた素晴らしい景色。こういうの好きだなあ。
もう少しで到着!
自販機の隣の階段から登っていく
7:40 山門前に立ちはだかる厄坂、男坂と女坂を登り、遂に次の札所に到着!
第26番札所 金剛頂寺(こんごうちょうじ)天狗伝説があるお寺
第26番札所 龍頭山(りゅうずざん)金剛頂寺に到着。
古来より修験者たちが修行する場所だった行当(ぎょうどう)岬。
岬の高台、鬱蒼とした森の中にある金剛頂寺は地元民から「西寺」として親しまれており、88ヶ所の中でも独特の施設が多いのが特徴的であります。
金剛頂寺の歴史
平安時代初期である大同2年(807年)、平城天皇の勅命を受けた弘法大師によって創建。住職は第十代まで勅命によって選ばれており、寺領は現在の室戸市全域にわたるほど栄えた。
鎌倉時代になると体制から逃れた人々をすべて受け入れる無縁所となる。
いつしか金剛頂寺は「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれ、侵すことのできない聖域になりました。
山門
手水舎
本堂
空海さん
大師堂
なぜか本堂に背を向けるように建てられている大師堂。
その理由は弘法大師伝説の1つ「天狗問答」の中にあります。
ある日、弘法大師の眼前に赤や緑の肌の魔物や鳥の姿をした天狗たちが現れ、修行を妨げようとしていました。
大師が結界を張り、お前たちは近づくなと喝破すると、その気迫に怯えた化物たちは、足摺岬に逃げていきました。
以来、大師堂は足摺岬の方角を正面に建立され、いまでも魔物や天狗を押さえ込んでいるという話。なおそのせいなのか足摺岬は全国屈指の自殺スポットとなってます。
金剛頂寺霊宝殿 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
国指定重要文化財7点をはじめとした、平安朝古器、仏具、仏画、古文書など50点あまりの寺宝を後世に伝えるため、厳重に保管されています。
特に「金銅旅壇具」は、平安時代の旅壇具としては日本唯一の貴重なものであるそうですが、自分は見る余裕がなかったので見学はしてません。
一粒万倍の釜
大師が炊いた米が一万倍に増え、人々を飢えから救ったといいます。これがあれば世界の食糧問題が解決しちゃいますねえ…
と思ったら、底が抜けてた。
がん封じの椿御霊木
撫でると癌封じなるといわれる霊木。
鯨供養塔
室戸で盛んだった捕鯨によって捕えられた鯨達の供養塔。
クジラの供養塔は、全国でも珍しいので一見の価値はあるかと思います。
8000頭とは結構な数・・・
また、金剛頂寺には定員100名の宿坊があり、道中の噂では札所宿坊の中でトップレベルの環境とサービスの良さらしいとのこと。
納経を終えたところ、いきなり強い雨が降ってきました。だいぶ長く降り止まず15分ほど待機…
8:25 少し弱まったので、帰りはへんろ道を使って戻る。
ここから先は山道。
12番の焼山寺を思い出すような道。
途中休憩ベンチがありました。
歩いてるとまた雨が強くなってきました!
雨が強すぎるのでささっと下っていく。
8:35 ようやく元の道に戻りました。
雨が止むまで民宿うらしまの目の前にあるこちらの休憩所で雨宿り。
シャワーと氷がありました。ありがたいですね…!氷を二つほどいただきました。
お礼と宣伝をメッセージボードに書いておく。
9:00 15分ほど待ってると雨が上がったので休憩所を出発
しばらくすると青空が見え始める。
目的地の看板が見えてくる。
9:28 次の目的地に着く
第26番奥之院 不動岩
第26番奥之院 不動岩
金剛頂寺の飛び地境内である不動岩です。明治初めまで金剛頂寺が女人禁制でしたので、女性はここで納経していました。女人堂として賑わっていたそうです。
不動堂
女人のための26番札所。本尊である波切不動明王が祀られています。
大師堂
空海の足跡 でかい。
不動岩
まだ奥があるので行ってみる
ここにも洞窟がありました
実はここも昨日のブログで書いた「御厨人窟(みくろど)」候補の一つなのだとか。
ここからも空と海が見えます。
9:50 一通り見終えて出発
晴天と傘のジョブチェンジ
ここらへんでまた雨が降り出す。雨になったり晴れたり勘弁してくれ。
そしてまた晴れに。もういいや、と思い傘を日傘代わりにすることに。何気に傘、有能です。
ピンクの家が見えてくる
こんなに晴れなくていいから…(日差しがきつすぎる)
もうここから雨が降ることはなかったですがそれにしても暑い、暑すぎる!
10:44 吉良川の町並み
今回は国道を真っ直ぐにいったので街並みはみれませんでしたがここは重伝建です。
この看板の近くの屋根付きベンチで休憩。
休んだあと麦茶を買って出発
こういう看板すき
少し先にアコウの木があります。
11:58 ドライブインオハラさんを発見。あまりにお腹が空いてたのとハンガーノックも怖いので入ることに。
メニュー
中はこんな感じで落ち着いた軽食屋といった感じ。
カツカレー
ルーの中にもカツが隠れんぼしてて結構満足。お腹空いてたのでめちゃくちゃ美味しかった…!
12:32 再び出発。
ハート形の実がありました
ここらへんでおじさんに声をかけていただき少しお話。激励をいただきました。
青にも色々な青がある。
羽根岬
休憩所があったけどこれはスルー
BGM: 8・32
13:28 奈半利町に突入
三角のテトラポット珍しいなあと思って撮影。
水面に
なんか大きい石碑が。
骨董屋 よくみたら電車?
めちゃながな木がありました。
ここで一瞬休憩。時間が推してるので。
へんろルートで公園があるのは珍しい。
自販機の列。
ここを左の道へ。
自販機が見えてきた
暑すぎてコーラが異常に飲みたかったので購入。毎日コーラがうまい。
14:47 そうして目的地へ突入。アニメ「おへんろ。」でも出てきたイタリア料理店「トンノ」の看板もありますね。
今旅の初電車!土佐くろしお鉄道
ごめん・なはり線の一番東側にある駅。
駅敷地内には室戸市・北川村方面に行くバス乗り場があり、近隣市町村へのアクセスも充実。駅舎内には物産館「無花果」やレストランを併設し、観光案内も行っています。
今回はおへんろ概要記事でも書いた通り、土佐くろしお鉄道区間はアニメ「おへんろ。」と同じように電車に乗ります。あと単純に自分も乗りたかった。
やなせたかし氏デザインのキャラが描かれている。
15:10 唐浜駅に到着。
再び現れるへんろころがし! 本日二回目の山登り
ここから歩いて本日2回目の山登りに参ります。
ここの階段からスタート
いきなり階段
まずは舗装路をひたすら登る
化石体験遊歩道
東屋
養蜂やってたのかな?なんのためのものかわからなかったです。
ここで別の道と合流。
15:49 へんら道到着。
27番札所「神峯寺」は神峯山中腹の標高450mにあります。
境内への登り坂は「真っ縦(まったて)」と呼ばれ、88ヶ所中4番目の「へんころがし」として土佐唯一の「へんころがし」として名を轟かせています。
やっぱりマムシ出るのか…
これぞへんろ道って感じの道。
1回目の舗装路合流。こんな感じでぐるぐる回って登る舗装路を突っ切る感じで登っていきます。
二回目の真縦
二箇所目の合流
どんどん汗水流しながら登っていく
ちゃんとへんろシールも貼ってあります。
あと790m…この時点で汗が止まらずやばい。
行きが乱れ足が中々すすまない。けど登るしかない!!
こうしてへんろ道終了!
疲れすぎたのでここでしばらく休んでました。
16:28 ようやく次のお寺へ到着。
第27番札所 神峯寺(こうのみねじ)高知のへんろころがしを超えた先
第27番札所 竹林山(ちくりんざん) 神峯寺に到着。
神峯寺の歴史
その歴史はかなり古く、神功皇后(在位201〜69)の勅命で朝鮮半島進出の戦勝を祈願し天照大神を祀ったのが起源とされる。
天平2年(730年)、聖武天皇の命をうけた行基が十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。大同4年(809年)弘法大師が伽藍を建立し観音寺と号したといわれます。
明治初期、新政府の神仏分離令により、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて廃寺となり、明治20年(1887年)に茨城県の竹林山地蔵院の寺格を移して再興され、昭和に入って神峯寺と称するようになりました。
山門
仁王門から先は長い石段。
階段の途中で振り返るとそこには絶景が。
本堂
大師堂
お迎え大師
下にはお砂踏みが
霊水「岩清水」
看板から100m進んだ鐘楼の裏側に霊水として名高い「神峯の水」がこんこんと湧き出ていました。
こちらは病気で危篤の女性が夢に現れた弘法大師に水を飲ませてもらい回復。その女性が大師にもらった水を探してまわりこの水に行きついたという。
神峯寺の日本庭園
仁王門から本堂、大師堂へは約150段の急な石段が続きますが、その両脇に広がる庭園の美しさは登りの大変さを忘れさせてくれます。
アニメ「おへんろ。」でちわちゃんが見てた切り株
17:10 こうして神峯寺をあとにする。
これ顔にみえません?
くるくるまわる
帰りはほぼ舗装路を真っ直ぐに行く。
駅まで時間がないのでダッシュしつつ坂を下る。
17:51 唐浜に戻ってくる
ここからまた電車で宿のあるところへ。
夕暮れと向日葵 安芸市探訪
安芸駅に到着。
今回の宿は旅館海月さん
チェックインした後はこういうサンダルがあるとすごく便利です。ぼくの靴はほどきにくいトレッキングシューズなので。
安芸を観光していく
夕暮間
昔の街並みを見ながら進んでいく。
18:55 目的地に到着
安芸市のシンボル「野良時計」
家ごとに時計のなかった明治の中頃、土地の旧家で地主であった畠中源馬氏が自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで手づくりで作り上げた時計台。すごい。
この時計台の原型は、当時畠中家の台所にかかっていた八角形の米国製の掛時計で、これを何度も分解しては組み立てて時計の構造を学んだといわれています。
古くから周辺で農作業をしていても遠くから時間を知ることができ、「野良時計」として現在も多くの人々に親しまれています。
逆側の道には綺麗な向日葵畑がありました。
野良時計と向日葵畑
ここでふるふるグレープジュースを買って次の目的地へ。
あの木が生い茂ったところなのだが道がわからない
変なところに出てしまった。
看板を発見し道が判明。
安芸城跡
古代から安芸地方を支配してきた安芸氏の居城。延慶元(1308)年、安芸親氏によって築かれたといわれている。
安芸氏は、戦国期には土佐七雄の一人に数えられ、土佐国東部で最大の勢力を誇るようになったが、永禄12(1569)年、土佐統一をめざす長宗我部元親に攻められ、激戦の末に敗れました。
安芸城は、安芸平野のほぼ中央にあり、標高41m、東西100m、南北190mの長楕円形をした平山城の頂上からは、安芸平野や太平洋を一望できる。現在は二の段、三の段などの曲輪や堀切、虎口の遺構、大手門の枡形などが残る。
毒井戸跡
さすがに暗くなってきたので上に登るのはやめました。
19:21 こうして安芸観光終了。
こうして歩いて宿へ戻っていく。
すっかり辺りも暗くなる。
近くのファミマで夕食購入。麺が食べたかったので油そば。
差し入れの鰹節が万能すぎる。
部屋にあったやつ
こうして長い一日が終了。漫画を描いてる途中寝落ちしました。
今日の歩数(電車移動分含まず)
電車含めてないのにまさかの今旅最長距離。
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
カツカレー800
電車代合計650
飲み物160円ペットボトル✖️1=160
飲み物130円ペットボトル✖️3=390
飲み物120円缶✖︎1=120
夕食650円
宿4000円
★合計6770円
明日もアニメ「おへんろ」と同じように例外移動手段の電車を明日使いつつ、札所を巡って高知の中心地に向かいます。
それでは、明日も一歩一歩、歩きます。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
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