おはようございます。
6/21(金)、四日目は徳島最大の難関だと思ってるへんろ道へいきます。
脱落せず歩ききるぞー!
昨日はチャンネルカンさんに宿泊。2980円ほど。
ドミトリーなので相部屋でしたが私しか泊まってなかったので実質貸し切り。コンビニが近く、設備も揃ってて良い施設でした。
今回はかなり厳しい歩きになるので五本指ソックスを2重にしてはき、シップもしっかりはって正露丸も飲んでおく。
そして山登りでも使用している芍薬葛根湯を飲んでおく。
これを飲んでるとこむら返りなどしにくくなります。
準備も済んで出発!この辺は栄えてるからかあまり挨拶とか返してくれる人は少なめ。
4日目の装備はこれだけ。片手開けとかないときついので。朝ごはんにウイダーインゼリーを買って飲む。あとは水を合計2L用意。
田園風景が広がる中、進んでいく。
藤井寺手前、お接待所を発見。
無料でポンカンやお菓子をいただけて椅子もある。ありがたい…
少し休憩してそのまま藤井寺まで歩いていく。
寺の公衆トイレと駐車場が見えてきた。宿から50分ほど歩き到着。
第11番札所 藤井寺(ふじいでら)~藤棚とへんろ転がし入口~
今日はここからスタートです。
なお、四国八十八箇所霊場のうち、寺号の「寺」を「じ」じゃなくて「てら」と読むのはここだけ。
藤井寺の歴史
弘仁6年(815年)、この地で護摩修法をされた弘法大師が42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立したとのことです。
その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられており、このとき大師が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したと言い伝えられています。
天正年間(1573〜92年)に長宗我部元親の兵火によって焼失し、延宝2年(1674年)に臨済宗の南山国師が再興したことから臨済宗に改められました。
そして天保3年(1832年)に火災によって本尊以外は全焼。現在の伽藍は、万延元年(1860)に再建されたものだそうです。
山門前にある家。廃屋?
本堂
天井に雲竜の絵があるとのこと。
大師堂
本尊・薬師如来坐像は「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されている。
水掛け地蔵
白龍弁財天堂
八本の手を持つ白龍弁財天が祀られている。金運が上がるとか。
藤棚 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
大師が悪疫退散の祈願のあとにお手植えしたと伝えられる。
4月下旬から5月上旬にかけ五色の藤が咲きほこるそうです。
そんな大事なポイントなのに…全然気づかなくて写真も撮ってませんでした…あともう少し早めにきたかったなあ…
一応この写真の右側に映ってるのが藤棚だそうです。
藤井寺(ふじいでら)は次の12番札所まで細く嶮しい山道で約13キロあります。
ここは男8時間、女9時間かかるといわれる遍路の難所「へんろころがし」の入口でもあり、自分が一番懸念してるところ。
その前にお寺にきていたお二人のおばさんとお話ししまして、一回別れた後自販機のとこまで行ったときにお茶をお接待していただきました。これがあってよかったと数時間後の私はしみじみ思うことになるのであった…
へんろころがし ひたすら歩きどおし…下手な登山より厳しい
次の12番札所「焼山寺」までの13kmの山道は四国遍路でも指折りの難所。あまりの険しさにここで遍路を諦める人が多いことから「へんろころがし」と呼ばれています。
藤井寺から焼山寺道まで『健脚5時間、平均6時間、弱足8時間』とのこと。
自分は荷物なければ平均だと思いますが18キロ近くのバッグがあるので今回7時間で考えてました。
女子は3.2km先の「長戸庵」まで、男子は6.6km先の「柳水庵」までお手洗いが無いので、出発前に済ませておくのが吉。そして自動販売機なども全くないです。まさに修行。
さて、AM9:30いざへんろ転がしへ!!
へんろ転がし入り口付近はミニ四国八十八箇所巡りができる祠が並んでいます。
祠がたくさんある。
ここまでで10分ほど。ここらへんまではなだらかな登り道です。
そして1遂にへんろころがし登場。全部で6箇所あるそうです。
確かにさっきの箇所より急で足にきますね。一気に上がるのは健脚じゃないと厳しいと思います。
下を見るとこんな感じ。
ようやくへんろ転がしを登り終えて10分ほど 9:49 最初の休憩ベンチに到着
ここで二人の老夫婦に会う。二人とも焼山寺に行くのだろう。
このルートを通って焼山寺に行くのは今日自分だけだと思っていたので心強い。少し休憩してさっきの老夫婦を追っかける。
舗装されていてどんどん下に降りていく
なぜか傘がぶら下がっていて思わず写真を撮った。
この傘に関しては少々怖い話というか、不思議な体験をしたのでこれはまたnoteなど別の記事で書くことにする。
書きました→https://note.com/shikakebunko/n/n8efca4cdb5e5
ここらへんでさっきの老夫婦と合流。そしてその二人がいきなり呼び止めてきた。
「おめえ焼山寺いくんじゃないのか?こっち真逆だぞ!!」
……え?
どうやら看板を見ずに老夫婦もお遍路さんと思い込んでしまいついてきてしまったせいで道を間違えてしまったようだ。
この時点で10:04 今から戻って合計20分の体力と時間のロス。しかも来るとき下りが多かったから戻りは登り。
先のことを考えると頭が痛くなってくる。
10:14 さっきの第一休憩ベンチに戻る。
よく見れば後ろに道があった。迂闊なミスをした。ここに戻ってくるだけで疲れてたので休んでからこっちの道へ。
少し歩くと小屋と休憩所が見えてくる。
10:24 休憩所に到着。5分ほど休んで出発。
10:58 次の休憩ポイント。 ここらへんでツイートする元気がなくなるので時間記録のためだけに画像のみツイートし始める。
11:15 水大師に到着。ここで山の湧水を飲んで回復。
あ~~~うまい!!キンキンに冷えてやがるっ…!!!
ここらへんから岩場が増え始める。
11:41 次の休憩ベンチに到着。
このへんで逆から歩いてくる人と会う。話を聞くと逆うち(さかうち)をしているそうだ。(四国八十八箇所を逆に回ること)
11:51 長戸庵(ちょうどあん)に到着。
標高は440m。弘法大師が焼山寺に行く途中で最初に休憩した場所と伝えられている。
長戸庵の名は、一息入れるのに「ちょうど塩梅良き」場所であるということに由来してます。午前中にこれてよかった…
こちらには女子専用トイレが設置してあります。
12:08 また休憩所発見。
ここからの景色がとてもきれいでした。晴れてたらもっとよかっただろうな~
この辺から滑落の恐れがある道もちらほら
こういうのが貼ってあると「遍路道なんだなあ」とグーグルマップが使えない身としてはほっとします。
12:24 二回目のへんろ転がし登場。え?まだ二番目なの?ここまでで5回くらいあった気がするんだけど…
黒いミミズがうようよいました。
ここらへんで柳水庵(りゅうすいあん)の看板が出てくる。
12:55 雨がパラパラ降ってくる。レインカバーとレインコートを装備。あとまた逆からやってくるおじいさんと会った。
13:02 人形付きの看板発見。 腹が裂かれてるせいで看板がキリストのような十字架にしか見えない…
切り株を切って椅子にしている。ありがたいけど雨が強くなる前に次のチェックポイントに行きたかったのでそのまま進む。
だいぶ下った先でへんろころがし3番目の看板。ここは下りがメインだったのだろうか?
少し歩くと小屋がある。
中に入ると普通に休めそう。だがしかし今は前進するためスルー
屋根が見えてきた。
13:29、出発から約4時間。藤井寺より6.6km。
柳水庵(りゅうすいあん)に到着。標高は500m。丁度へんろころがしの中間地点。
昔、大師がこの地で休息した際に水を求めたもの水がなかったので柳の枝に加持を施して掘ったところから水が湧き出したと言われます。
現在も伝説にちなんだ「柳の水」と呼ばれる湧水がります。
水は少しぬるめだったけどさすが山水、おいしい。
ここで昼食を食べる。雨もパラパラ降るくらいで問題なさそうなので雨具をしまう。
ランチくれま
今日のバッグ。改めてみてこれ重いよなあ…これなければあと30分は早めに来れてると思う。
ピンク電話…?公衆電話のことだろうか。
男性もここにはトイレがあるので一安心。
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14:06再出発 するとすぐ小屋を見つける。
へんころがしの中間ということもあってか、柳水庵の近くには地元有志によって建てられた無料休憩所があります。
設備も整ってるので一泊するならここがいいかもしれませんね。
そしてまた舗装路に出る。
ここからまた山へ
地獄への入り口かな?
14:43 ここらへんで雷が鳴り始め、近くに落ち始める。
雷なってるのにどんどん登っていく恐怖。 引き返すにも小屋まで遠すぎるのでさらに登り続けることを選択した。
急ぎすぎて道の途中でばてる。雷も強くなってくる。焦っちゃダメだ、と自分に言い聞かせる。
14:56 へんろころがし4を終了。写真撮る余裕もなかった。二回目の休憩。正直体力は限界。
15:12。徳島県指定天然記念物の左右内の一本杉と弘法大師像の元に到着。
一本杉に隣接する形で浄蓮庵(じょうれんあん)が建っている。
この空海像を見て思わず無宗教の私も無意識に手を合わせ拝みました。
今日のくれま
浄蓮庵
一本杉
浄蓮庵から焼山寺までは、V字型に下って上る形となる。
そしてここで休んでると雨が再び降り始め、本降りになり絶望する。
ここで決断の時、今出てもおそらく焼山寺に着くころには納経時間を10分ほどオーバーする。ならここで泊まって次の日行ったほうが…雨はやむ気配はない…
そして苦渋の決断…強行!
雨の中ひたすら下りを駆け抜ける。勿論最大に注意しながら。
そしてようやく終わりが見えてきた。
16:00頃 左右内(そうち)集落到着。ここの脇をひたすら下っていく。
ここらへんでカニが死んでた。
下りすぎて不安になってくるがこの橋を見つけたらもう大丈夫。
へんろころがし6 正直ここは最大の難関でした…
もう足は限界を突破している。水もあと100mmほど。ただ気力で登り進める。
こういう道やもっとエグいのがあと10回以上続きます。
ただひたすら大声で「進め!進め!」と言いながら大粒の雨の中体力も奪われた状態で進み続ける。
いつまで登っても見えてこない終わり。もう倒れかけてたその時…
やっと終わりが平坦な道へ。
この時点で16:47ほど このへんで焼山寺残りあと1キロの看板を見つけたので納経所に電話し歩きで来るというのもあり10分ほど時間を伸ばしていただいた。
そしてついに境内へ向かう道が…!
ここからがまた長い。
7時間半ほど歩いていよいよ目的地が見えてまいりました。
長かった…ほんとに…長かった…
第12番札所 焼山寺(しょうざんじ)~山道を超えた先には~
17:08 第12番札所 摩廬山 (まろざん) 焼山寺到着。
焼山寺山8合目近く(標高700m)にあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。
深い山中にあるため、四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所として知られています。
また、阿波霊場三難所の1つにも数えられ「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれてます。難所一つクリアしたので次もいけるかな…
焼山寺の歴史
大宝年間(701年~704年)、役小角(役行者)が開山し庵を結び蔵王権現を祀ったのが寺の始まり。
後に大師が弘仁6年(815年)に訪れ、農作物や村人たちを襲っていた火を吹く大蛇を退治する際に大蛇によって山が「焼山」となってしまったので「焼山寺」と名付けられたそうです。
また山門までの階段が長い
仁王門
着いてすぐ納経所へ向かう 笑顔で迎えてくれたお坊さん方に感謝
こうして無事納経していただきました。
納経を終えて自販機で買ったCCレモンは世界一うまかった。一気に飲み干してしまった。
余裕ができたので境内を歩く。太い杉がたくさん。
仁王門を超えた先にある参拝者を出迎えるかのごとく道の左右にそびえ立つ杉の巨木は、焼山寺のシンボル的存在。境内から奥の院まで、その数は数百本。推定樹齢は約300年で、県の天然記念物に指定されています。
なぜかブランコがある。
売店もあったみたい。
本堂
大師堂
こうして入り口まで戻り今日野営するキャンプ場へ
ここをキャンプ地とする!
近くにあった神山温泉へ。よもぎ湯、ろてん、寝風呂、ジャグジー、サウナなどがありました。
湯上がりにロコケア
このままキャンプ地に帰るも暗すぎて足元が全然見えなかった。
夕食 ファミマのチキン南蛮弁当
テントの中で食べて漫画を描いていたら、いきなりテントを外からぐいぐい押された。そして外からは獣のうめき声が。
光は刺激するし動物や虫も寄ってくるので漫画作業は中止。そしてご飯をテントで食べたのが原因かと思い当たり、外に出すわけにもいかないので密閉して虫よけスプレーで袋内をふきつけ、あとは最悪応戦できるように金剛杖をとスマホ、貴重品をもって構える。
幸いこのあといなくなりましたが同じようなことがあとから何回か。
初めての野営だというのもありびくびくしながら一夜をすごました。
今日は本当に疲れた…
今日の歩数
今日の納経 11番札所 藤井寺
12番札所 焼山寺(後日撮影のため13番納経あり)
4日目の漫画
■使用金額(納経代含まず)
キャンプ代入浴券つき1620円
夜ファミマ720円
牛乳110円
朝540円
飲料代360円
★合計3350円
それではまた次の日も一歩一歩歩きます。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
香川県ゲストハウス三条
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