おはようございます!
本日はホテルファーストさんより起床。
7/29(月)、四国お遍路20日目 今日は高知市街を出ていよいよ本格的な修行の道場へと足を進めていきます。
それでは今日も元気に、おへんろ!
朝食 ホテルのパン。
8:20 ホテルファースト出発
五色台展望台へ
まずは市街地を抜けていく
ツイッターでアドバイスいただいたので凍ったペットボトルもしっかり装備。
橋には高知の有名なもののレリーフが
この山の上に札所があります。
新聞の葬式とは
次の札所までの登り坂発見。進んでいきます。
結構バスとかが通っていく
虫喰寺跡… 気になりますね。
展望台駐車場
お寺の前に展望台へ行く
浜口雄幸像
ここが展望台かな?
うーん…たしかに町が見えるけどしょぼい…
と思ったらこの建物の上だそうで、勘違いしてました。
こういうところ好き。
9:48 展望台到着!
高知市街地が一望できる絶景ですね。
上にいたおじいさんと少しお話。車でお遍路をしたことがあると仰ってました。
一通り見て下に戻る
少し歩いてお寺の正門へ
10:.06 この階段を上がって目的地到着です。
第31番札所 竹林寺(ちくりんじ)庭園と宝物館と竹林寺ようかん
第31番札所 五台山(ごだいさん) 竹林寺に到着。
ここは「三人寄れば文殊の知恵」でお馴染みの文殊菩薩が本尊のお寺であり、そのため、学僧・名僧があつまる学問寺院とされ、現代でも学問成就のお祈りに来る方も大勢いらっしゃいます。
また、高知県の有名な民謡「よさこい節」の舞台になるなど竹林寺は土佐の宗教・文化の中心的役割を担う重要な場所になっています。
竹林寺の歴史
神亀元年(724年)、聖武天皇が文殊菩薩の霊場として名高い大唐の五台山に登り、文殊菩薩から教えを授かるという夢を見たことから、行基に五台山に似た山を捜すよう勅命をし、日本中を探し出した結果この地が霊地であるとして自ら文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したと伝えられています。
大同年間(806~809)、大師が竹林寺で瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復した由縁をもって当寺は四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。
山門
入ってすぐ、とても閑静だけど明るい、そんな印象を受けました。
手水舎
本堂(文殊堂)
文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂とも呼ばています。国重要文化財。
「三人寄れば文殊の智恵」でお馴染みの本尊・文殊菩薩は、智慧を司る仏とされており、合格祈願に訪れる受験生も多いそうです。なお、88ヶ所の中で文殊菩薩を本尊としているのは、ここ竹林寺だけ!
大師堂
竹林寺には元々三重塔がありましたが、明治32年の台風により倒壊。
23年後の昭和55年、高さ31.2mメートルの五重塔として、バージョンアップした上での再建。高知県唯一の五重塔で、鎌倉時代初期の様式となっています。
竹林寺の竹林寺羊羹 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
竹林寺境内で売られている羊羹。食べたい分だけ筒から押し出して食べられる竹筒をイメージした容器は、お遍路さんが歩きながら食べられるように糸で切れるようになってます。1本200円。
厄の文字を貼り付ける絵馬
ブッダドーム
船岡堂
五智如来像
一言地蔵
一匹ネズミが紛れ込んでますねえ…
納経所
ここで宝物館と庭園に入れるチケットを購入(400円)
宝物館
宝物館にある仏像17体は、藤原時代から鎌倉時代にかけてのものですべて国の重要文化財。その数は高知県下の国重文指定仏像の約1/3にも及びます。
中に入ると仏像がずらっと取り囲むように並べられていて、スイッチを押すと案内が始まりました。牛の像が印象的でした。
ここから中に入る
竹林寺庭園
竹林寺庭園は鎌倉後期、文保2年(1318年)に禅の高僧・夢窓国師(むそうこくし)が作庭されたと伝えられる池泉鑑賞式の庭です。
高知県三名園のひとつに数えられ、平成16年に国の名勝指定を受けています。
一通り見て、次のお寺を目指します。
遠ければ遠いほど鮮やかな虹の色
途中、高知県立牧野植物園を発見。
「自分は植物の精である」そう言った日本の植物分類学の父として有名な牧野富太郎先生の出身地にある植物園。
牧野さんは高知県高岡郡の生まれ。小さなころから植物が大好きで、学校も自主退学し独学で土佐の植物採集や研究を重ねていきます。
18歳のころに欧米の植物学に影響を受け、高知県内で植物採集に明け暮れます。22歳の時上京し、東京大学理学部植物学教室へ出入りをしながら、日本の植物をまとめた本を作ることを夢見ます。
1887年に最初に出版した「植物学雑誌」に記載された「ヤマトグサ」は、日本国内で日本人が行った最初の新種発表となりました。そこから94歳で亡くなるまで、実に1500種類もの新種や新品種の植物の命名をしました。
ほんとは行きたかったのですが、時間の都合上断念…
坂を下っていく
竜のような雲
次のお寺への道 へんろ道ですね。
やっぱり足場が悪い…
そんなに長くなく五分ほどで降りれました。
ふと空を見ると虹が!
こんな横になってる虹、初めて見ました。
環水平アークというそうです。
歩き遍路してるからこその発見ですね。幸運を呼ぶとも言われてるそうです。
このままゆず、福山雅治、Aqua Timez、コブクロの「虹」を聴きながら進んでいく。
途中で道が変わる
何があったんや…
ここで少し休憩
武市半平太の墓とな
武市半平太の墓
司馬遼太郎の「人斬り以蔵」や短編を思い出しますね。
ここが彼の旧宅で、現在は民家として使われてるそうです。
久々のトンネル!
やっぱトンネルはいいですねえ…涼しいし日も当たらないし。
ここの景色、個人的にお気に入り。
絶景スポットですね。
親切な看板を発見。
裏道を迂回していくような感じですね。
入り口が見えてきました。
12:41 ここから山登りのへんろ道スタート。
この暑さでやられてる中での登山はきついっすよ…
しかし進むしかない、いざ!
置かれたヘルメットがいい味出してる。
そこまで足場は悪くない。
思ったより早く頂上に着きました。
お疲れさまでした。
12:48 次のお寺に到着!
参拝前にお昼ご飯。おにぎり…まあ大丈夫だよね。
第32番札所 禅師峰寺(ぜんじぶじ)峰の上から海人を見守るお寺
第32番札所 八葉山(はちようざん) 禅師峰寺に到着。
「みねんじさん」と呼ばれ親しまれている禅師峰寺は、峰山の標高82mほどの頂上にあることから、禅師峰寺は地元では「みねんじ」や「みねじ」と呼ばれ、親しまれています。
人によっては禅師峰寺という名称が通じない場合もあり、道路標識も峰寺と表示されていることが多いので要注意!
禅師峰寺の歴史
聖武天皇(在位724〜49)から勅命を受けた行基が土佐沖を航行する船舶の安全を祈願して、堂宇を建てたのが起源とされています。
大同2年(807年)、弘法大師は奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れ、霊地と感得したので修行をし、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として祀り現在の寺名を定めました。
土佐藩主山内一豊以来、歴代藩主の信仰を受けており、参勤交代で浦戸湾を出航する際には航海の無事を祈願していました。また武士らだけではなく、庶民である海の男たちからも「船魂の観音」とも呼ばれ信仰されています。
不動明王像
山門脇には不動明王像が立っています。像の後ろにそびえ立つ奇岩がまるで炎の様。
山門
手水舎
センサーで反応して、お地蔵様の手から水が出ます。
階段を上って本堂のある場所へ。
奇岩
本堂
本尊の十一面観音は、弘法大師が海上の安全を祈願して刻んだものといわれ、古くより「船魂(ふなだま)観音」として、漁師や船乗りたちの信仰を集めている。土佐藩主・山内一豊も参勤交代の航海安全を祈願したといいます。
大師堂
外を眺められる場所へ移動
奇岩と絶景 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
弘法大師は、奇岩霊石が立ち並ぶこの境内を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域を感得したそうです。
境内からは坂本龍馬像で有名な桂浜がある「浦戸」や広大な「土佐湾」を一望できます。今から1000年以上も昔、行基がここに海上安全を祈願して堂宇を建立したのもこの景色を見れば納得しました。
今日も禅師峰寺は峰の上から海に出る人々を見守っています。
ポン菓子売ってました。余裕あれば買いたかった…
納経所
納経も終わり下る
帰りは舗装道路を歩いていく
最初の道に到着。
引き続き次のお寺へ向かいます。
昔からのルート 県営渡船へ
次のお寺ですが、「県営渡船」を使って移動します。
一般県道弘岡下種崎線のうち、浦戸湾で隔てられた長浜地区の梶ヶ浦渡船場から三里地区種崎渡船場までの約600メートルをおよそ5分で結んでいます。
今は浦戸大橋ができて行き来できてますが、昔はそんなものなかったので船で移動してたためこちらの方が正規ルートとなります。
なのでその場所目指して進む。出発時刻に間に合わせるため急ぎ足。
途中休憩所があったり
キリンやブラキオサウルスみたいなクレーン
サンゴセンターに
船形のお店などありましたが
ひたすら進む!
もう少しで目的の船着場へ
到着! …って、あれ?
「欠航」
なんてこった…ここまで急いで来たのに…
思わず崩れおちました。どうやらつい最近から欠航になったみたいで調べ段階の時にはまだ動いてたっぽい…
仕方ないので浦戸大橋ルートでお寺を目指す。
いきなり納経時間までのタイムアタックになってしまった。
この苔むした階段を上ると
着きました浦戸大橋…ってええ…
浦戸大橋、まあ僕が避けたかった理由の1つがこれなんですが、歩道狭い上に直射日光当たるし距離は長いしもう地獄
あの柵越しの橋を渡ります
これすれ違いとか絶対できないな…
橋を乗り越え先に進む。
桂浜もできれば行きたかったけど時間的に厳しそうなので今回はパス。まあ前にも一回行ったことあるので良しとしましょう。
海沿いを進んでいく。
ここで少し休憩。
桂浜花海道
マリーンロード
時間もだいぶ迫ってくる。
宿泊候補だった宿がありました。
この広場の遊具、レベル高すぎない?
16:44 次のお寺に到着!
第33番札所 雪蹊寺(せっけいじ)元親公お膝元のお寺
第33番札所 高福山(こうふくざん) 雪蹊寺に到着。
雪蹊寺の歴史
弘法大師によって弘仁6年(815年)に創建され、当初は高福寺と称していたが、鎌倉時代に高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在。
本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、息子・湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、善膩師童子像を彫造して安置したとされています。これらはすべて国の重要文化財に指定され、それが由縁となって慶運寺と名を改めました。
その後、廃寺となっていましたが、長宗我部元親が自らの宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖としました。
慶長4年(1599年)の元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から寺名を「雪蹊寺」と改めました。
「南学発祥の道場」ともいわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生み出します。
明治時代になると廃仏毀釈により一時廃寺となりましたが、大玄和尚が復興。現在に至ります。
山門はなし。珍しいですね。
手水舎
本堂
大師堂
隣には公園があります。
納経所
大玄塔 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
門を入るとすぐ左手にあります。
雪蹊寺が廃仏毀釈の後、再興に尽力した十七世山本大玄和尚のために、玄峰和尚が建立した塔だそうです。
こうして今日の札所巡りは終了。宿へ向かいます。
ここから宿までが遠いんだよなあ…肩と足が痛いから歩くのしんどいけどもうひと頑張りするか!
雲行きも怪しくなってきた
あまりにもおなかが減ったのでごそごそしたところ、31番札所の竹林寺で買った竹林寺ようかんがあったので食べる。ついてる意図で必要な分切れてこれは便利。
栄養補給してスピードアップ!
さらに飲み物も補給。
50円自販機発見。安すぎる…!!
春野総合運動公園到着
この公園内に宿があります。
ホテルSP春野に到着。丁度着いたところで雨が降ってくる。
運動公園だけあってどこかの学校のサッカー部が団体で泊まっててうるさかったです。
夜ご飯
のり弁
久々に選択もできたし漫画も進めよう…と思ったのですが中々遅れ気味。やっぱり時間かかりますね。コーヒーを飲んで頑張りましたが中々追いつきません。
今日の歩数
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
竹林寺ようかん200円
竹林寺宝物殿と庭園券400円
飲み物160円ペットボトル✖️1=160円
飲み物130円ペットボトル✖️2=260円円
飲み物缶✖︎2=220
夕食+明日の朝食と飲料940円
乾燥機200円
宿4000円
合計6380円
現在巡ったお寺は33/88
明日も難所の札所を巡っていきます。
それでは、明日も一歩一歩、歩きましょう。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
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