おはようございます!
本日は民宿四国路さんにて起床。
8/22(木)、ついに香川の札所巡りへ。香川県の遍路道は涅槃(ねはん)の道場。
1,400Kmにも及ぶ幾山河の遍路行は、
徳島・発心
高知・修行
愛媛・菩薩
香川・涅槃
この順の道場を進み、巡拝者は一切の煩悩を断ち切り、解脱の境地に導かれ、四国八十八ヶ所遍路は結願となります。(僕は煩悩がありすぎてまだダメ)
それでは今日も元気に、おへんろ!
香川最初の札所 雲の上を目指して
6:33 宿を出発
今日もいい天気!のどかのどか!
と思ってたら急にお腹が痛くなり遠回りをしてファミリーマートへ。毎日正露丸飲んでるんだけどなあ…
予想外のタイムロスをしつつも気を取り直して次のお寺へ向かうロープウェイ乗り場へ。
大きな溜池がいくつもありました。
楽しそうな坂が見えてきた。
右側の坂を登っていく。
中々坂道がきつい。
木が蔦に覆われてる…
人気がなく、ヘビやトカゲが足元を通り過ぎていく。
右側に見える民家、整備はされてるみたいだけど誰かが住んでる気配はない。
なにかの施設が見えてくる。
射撃訓練場跡らしいです。
昔の遺物はどことなく懐かしさを惹き起こさせる。
雲辺寺まではもう少し!
途中廃墟になった別荘が。
看板が見えてきた。
8:24 雲辺寺ロープウェイ到着。
今回のお寺では概要記事で説明したように、時間の都合上、ロープウェーを利用させていただきます。
ここは日本最大の規模のロープウェイらしいです。
待合所内
有名人のサインも沢山。
お前らチャリできた奴らみたいだな。
8:35 ロープウェイに乗る
やっぱりロープウェイはいいなあ。
この支柱に来た時ガタッってなるのがいいですよね。
晴れの日のロープウェイは本当良い。
7分ほど乗り到着。
外に出ると綺麗な紫色の花がお出迎えしてくれました。
ここからもう雲辺寺なのですが、門はしばらく先なのでお寺紹介はもう少し後から。
これに座りたいと思う人はあんまりいないと思う。
お迎え大師が出迎えてくれました。
少し先に行くとなにやら見えてきました。
こちら毘沙門天展望館。
本堂から少し離れた高台にある毘沙門天像が特徴的な展望台です。
まっすぐ行けば着くそうなので先に行ってみる。
入場は無料とのこと、ありがたい。
YouTuberも来たみたいですね。
ここには1番から四国八十八箇所の絵が螺旋階段に沿って順番に飾られています。
ラストの絵は高野山。
ようやく頂上につき扉を開けると…
おぉ…!
巡り会う季節、新鮮な景色。
さすが雲辺寺という名前だけあって雲に近い場所にありますね。
こういう新鮮な景色を見るとアイマスの小鳥さんの「空」とラブライブの「Wonderful rush!」が聴きたくなるので聴きました。
雲の上にあるってなんだかんだ標高かなり高いですね。
上を見上げると毘沙門天像。
これは66番ステージに出てくるラスボスの風格ですわ。
さて、景色を一通り楽しんだ後は山門からお参りへ。
第66番札所 雲辺寺(うんぺんじ)最も標高が高い、香川最初の札所
第66番札所 巨鼇山(きょごうざん) 雲辺寺に到着。
標高911mと四国八十八ヶ所の札所の中で最も標高が高い寺院です。讃岐の国最初の札所であるが、住所としては徳島県にある雲辺寺。
かつては「遍路ころがし」の難所だったそうですが、現在は雲辺寺ロープウェイを利用すると約7分で山頂に。
雲辺寺の歴史
弘法大師がこの地を訪れたのは3回。
まず最初は789年(延暦8年)大師がまだ佐伯真魚と呼ばれていた16歳の頃、故郷に善通寺(75番札所)を建立するための建材を求めてこの地を訪れ、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立しました。これが雲辺寺の起源とされています。
2回目は大同2年(807年)、大師34歳のときに唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法を行いました。
3回目は弘仁9年(818年)、45歳だった大師は嵯峨天皇の勅願で本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定めたそうです。
その後、雲辺寺は「四国高野」と称され、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となりました。
1098年(承徳2年)火災で全山消失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師・米成は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し、堂宇の再建を果たします。
1577年(天正5年)、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺に訪れ四国統一の夢を語った際、当時の住職だった俊崇坊が
「薬缶の蓋では水瓶の蓋はできません。あなたも四国全土を覆える器ではなく、土佐一国の器です」
と、諭したという逸話が残っています。
その後、1585年に四国を統一した元親でしたが、奇しくも羽柴秀吉の四国征伐により、伊予・阿波・讃岐を失い、天下統一の夢は破れました。
山門
階段を登っていく。
ここらへんで採れるのだろうか、サヌカイトが飾ってある。
これで叩くと金属音のような音がする。
本堂
ご本尊煌びやかすぎません?
厄落としの絵馬。面白い発想。
おたのみナス!
ここをくぐって腰掛けると良いのだとか。
おたのみなす ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
「親の意見と茄子の花は万に一つのあだもない」
なすの花は全て実になるということから縁起物とされており、参拝者の頼みごとが成す(なす)ようにとの意味も込められているそうです。
大師堂
彫刻が美しい。
納経所
一通り見てロープウェイ乗り場へ戻る。
坊主の集会か何かかな?
と思ったら予想以上に屈強な像が並んでいました。
お釈迦様の像を中心に沢山の仏像があります。
これら釈迦の入滅を悲しむ羅漢像500体が、涅槃釈迦如来を中心に並んでいます。その表情は一体ごとに異なり、初めて見た時はその数と迫力に驚きました。
この五百羅漢とは、釈迦入滅後の第1回、及び第4回の仏典編集会議、結集のときに集まったという500人の聖者のことらしいです。
頭がパーンの像がある。
あーこのポーズすき。
これもほんとすき。
ロープウェイ乗り場に戻ってきました。
9:55 ロープウェイで下まで下る。
本当は帰りくらい歩きで行きたかったんですが、今日中に70番札所まで行っておきたかったのでロープウェイ使用しました。ご容赦ください。
さて、麓のロープウェイ乗り場まで戻り、次のお寺を目指します。
ここで行きとは違う道を通っていくことに。
星のふるさとの看板とミッキーがシュール。
途中東屋発見。
ボロボロの小屋…
10:51 オススメされた萩原寺に到着。
時間の都合上少ししか参拝できませんでしたが閑静でゆったりとしたお寺でした。
再び次のお寺目指して歩く。
100円自販機を久々に発見。松山越えると中々ないんですよね…
おみくじ缶もあり。
とりあえずチェリオ。このわざとらしいメロン味!
壁に書いてくれて親切だけどこの急坂、斜度がえぐい。
そして下りも急坂。どうやら山なりになっているようです。
日差しも強いところで本日2回目のお腹壊しがやってくる。
ここにくるまででこの画像のまおちゃん(アニメ「おへんろ。」キャラ)状態になってたので死ぬ気でお寺のお手洗い目指して進む。なにか悪いものでも食べたのだろうか…
そうして12:20 無事次のお寺に到着。
第67番札所 大興寺(だいこうじ)真言宗の大師堂、天台宗の天台大師堂が同じ寺に
第67番札所 小松尾山(こまつおさん) 大興寺に到着。
「大興寺(だいこうじ)」は、空海の真言宗と最澄の天台宗が同居していたという珍しい過去を持つ霊場。地元の人たちは、山号にちなみ、親しみをこめて「小松尾寺さん」と呼んでいる。
大興寺の歴史
天平14年(742年)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立されました。
弘仁13年(823年)、火災により焼失していた諸堂を嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が本尊に薬師如来、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで堂宇を建立し、再興させたと伝えられています。
現在の大興寺は真言宗の寺院ですが、伝教大師(天台宗の開祖・最澄)の影響で天台宗に属していた時期もありました。
戦国時代末期である天正年間(1573年~1592年)、長宗我部元親の兵火により本堂を残してことごとくを焼失します。
その後、慶長年間(1596〜1615)、現在地に再建されます。
山門
境内を守護する二体の金剛力士立像は、仏師として名高い運慶の作と伝えられています。像高314cmで八十八ヶ所中最大級の力士像といわれ、香川県有形文化財に指定されています。
カヤの木
長い石段が続いていく。
四国霊場第六十七番札所・大興寺の境内にある、樹齢約1200年に及ぶカヤとクスノキの巨木。カヤは弘法大師が種をまき、クスノキも大師が手植えを行ったとの伝説が残ってます。
石段を登りきると…
本堂が見えてきました。
手水舎
本堂
さてここにはなんと2つの大師堂があります。
本堂の左奥に大師堂があり、ここには弘法大師像の他、脇陣に胎蔵界大日如来坐像と如意輪観音が安置されています。
また、真言宗と天台宗が同居していた過去から、本堂右奥には天台宗の第三祖・智顗(ちぎ)を祀る「天台大師堂」が建てられています。
まずは右奥の大師堂から
天台大師堂
続いて左奥の大師堂
真言大師堂
三鈷の松 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
普通の松の葉は2本ですが、三鈷の松の葉は3本。弘法大師が留学先の唐から帰国する時に、「唐で学んだ密教を伝えるのに相応しい場所に先に飛んで行け」と三鈷杵を投げ、帰国後に探したところ、松の木に引っ掛かっていたという言い伝えがあり、高野山にもその伝説があるようです。
松の下には、松葉を入れた箱が置かれ、自由に持ち帰って良いとのこと。ただ直接むしるのはダメです!
三鈷の松葉はお財布に入れておくとお金に困らないとか。
納経所は本堂にあり、歩きでやってることを伝えるとお菓子をおせったいしていただきました!ありがとうございます!
12:54 一通り見終え、次のお寺へ向かう。
観音寺市内巡り そして名所 銭形砂絵
昨日泊まった民宿まで戻り、そこから観音寺市街の方に歩いていく。
田園を突っ切っていく。
なんか良い名前の社を発見。
久々におへんろ休憩小屋を発見するもだいぶ時間がタイトな為そのまま進む。
途中、白栄堂柳町本店へ寄るも休み。
ここの観音寺饅頭はこの辺でしか食べれないので楽しみにしてたのに…
観音寺饅頭、こちらは後日差し入れで貰ったもの。
香川県観音寺市にある「白栄堂」。1902年に創業した老舗和菓子屋。白栄堂で有名なお菓子は「銘菓 観音寺」かなり人気なのですが、地元の観音寺市でしかかえないらしく、高松でも売られていません。
橋を渡っていく。
世界のコインセンター
ここは時間があれば寄りたかった場所です。
目的地はこの先らしいので…
再び坂道を登っていく。
中々急坂で汗をダラダラ流しながら歩く。
途中ショートカット階段があったので登る。
登りきると琴引八幡宮の看板が。ここも時間があれば寄りたかった。少し紹介だけ書いておきます。
琴弾山の山頂に鎮座しており、神仏習合の時代にはここが四国八十八箇所第68番札所でした。
さて、ここの岩場の上に登り海側を見ると…
!!!!??
観音寺市といえば「寛永通宝」と言われるほど、市内で一番人気がある観光スポット。
有明浜の白砂に描かれたこの砂絵。
大きさはなんと東西122m、南北90m、周囲345mもあります。
一般には、寛永10年(1633年)に藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたと言われており、この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられています。
じっくり眺めた後は逆の道を下りていきます。
15:00 ここを降りると次のお寺に到着。
第68番札所 神恵院(じんねいん) 第69番札所 観音寺(かんのんじ)
第68番札所 七宝山(しっぽうざん) 神恵院、第69番札所 七宝山 観音寺に到着。
68番神恵院と69番観音寺は、同じ境内にある霊場で共通の山門に2つの寺名を左右に掲げてあります。納経所も共通で、1度に両方のご朱印がいただけるというラッキーポイント。
神恵院、観音寺の歴史
68番札所神恵院と69番札所観音寺は開基も創建の時期や由縁も同じであります。
大宝三年(703年)、法相宗の高僧・日証上人が琴弾山山頂で修行をしていたところ、鎮西宇佐の宮(現大分県・宇佐神宮)より八幡大菩薩が降臨し、海の彼方には神船が琴の音と共に現れました。
上人は、里人と共に神船と琴を引き上げて、山頂に琴弾八幡宮を建立し祀りました。
このとき、一緒に建てられた神宮寺(仏教の僧侶が神祇に奉仕するために、神社の境内などに建立された寺院)がそれぞれの霊場の起源とされています。
時は平安の世に移り、唐より帰国した弘法大師が、大同二年(807年)にこの地に訪れました。大師は、琴弾大明神が乗っていた神船は神功皇后とゆかりがあり、観音の化身であると感得。
そこで奈良の興福寺を模して、琴弾山の中腹に七堂伽藍を整備し、薬師如来・十二神将・聖観世音菩薩・四天王等の尊像を刻み、山号を七宝山、寺号を観音寺と改めました。
大師はしばらくの間、観音寺に留まり第七世住職を務めたそうです。
また同じ頃、弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、八幡宮の別当寺(神社を管理するために置かれた寺のこと)に神恵院をあてました。
以来、江戸時代までは、琴弾八幡宮が第68番札所、観音寺が69番札所として機能していました。
明治初年に発令された神仏分離令で琴弾八幡宮は、琴弾神社と神恵院に分離されます。
その結果、琴弾八幡宮は四国霊場から切り離され、別当寺であった神恵院は山のふもとにあった観音寺の境内に移されました。
こうして1つの境内に2つの札所が存在するという四国霊場で唯一無二の形態となり、現在に至ります。
仁王像
愛染堂
手水舎
68番神恵院・本堂
コンクリの建物が2002年に新築された神恵院の本堂です。
お堂の中では、八幡大菩薩の本地仏(神の正体とされる仏)である阿弥陀如来を祀っています。なおこの本堂が新築される以前は、観音寺の薬師堂が本堂として使われていたそうです。
モダンな建物ですがあまり派手ではないのでそこまで違和感はない。
68番神恵院・大師堂
69番観音寺・本堂(金堂)
室町時代の大永5年(1525年)12月に建立された歴史をもつ朱色のお堂で、国の重要文化財に指定されています。
本堂には「常州下妻庄…貞和三年…」など、古くは南北朝時代の落書きが残されており、遍路文化を探る上で貴重な資料とされているとか。
69番観音寺・大師堂
宝物館(観音寺)★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
木造の釈迦涅槃像が安置されているが基本空いてないとのこと。
来るときはこちらの階段の上から降りてきました。
さて、こちらの札所に着いたところ、観音寺との住職さんが自分のTwitterを見てくださってお声がけしてくださり、お休みにも関わらず境内にあるこちら
寺cafe&遍路グッズ 梧桐庵さんの内装を見せてくださいました!(オタクだから楽しかった)
中には数人地元の方がいて甲子園中継モードになってました(´∀`=)
観音寺市はアニメ「結城友奈は勇者である」の聖地ということで、今こんな感じでグッズも販売してるそうです。
ゆゆゆは僕も見てたなあと当時を懐かしむ。
少しノートにメッセージも書かせてもらいました。(写真撮り忘れたので後から見てくれた人に写真送っていただきました。ありがとうございます!)
今までお寺近くに喫茶店や茶屋はあったけどこういうお寺の人が経営に携わってるお店って今までなかったんじゃないでしょうか。
最近だと漫画で「ぶっカフェ!」というお坊さんが経営してる通称「寺カフェ」のお話がありますが、ここはリアル「ぶっカフェ!」ですね。
立派な熊手
あと住職さんからオレンジジュースもおせったいしていただきました。本当にありがとうございます!
観音寺市では自販機やポスターなどゆゆゆの広告をたくさん見かけたので、また見返したくなりました。
多様化した世の中、アニメはだいぶサブカルチャーからカルチャーへと移り変わり世の中に浸透しましたが、まだ万人に受け入れられているわけではありません。
それでもこんな風にお寺でご当地の、かつ好きな作品を推していく試みをしているのは凄いなあと思います。
さて、住職の心遣いに感謝しつつ、お寺をあとにしようと思ったら…神恵院の本堂に杖を置きっぱなしにしてしまった!
ということで急いで取りに行くも住職さんが体力を残しといたほうがいいからとわざわざ取りに行ってくださった。本当にありがとうございます…!
最後まで格好つかず情けない…
15:47 さて、気をとりなおして次のお寺に向け出発。
川沿いに歩いていく。
途中で橋を渡り田園の広がる道を歩く。
このとき猛烈にお腹が減ってることに気づき、お昼ご飯を食べてないことを思い出す。
舗装された遍路道を歩き16:42 お寺に到着。
第70番札所 本山寺(もとやまじ)馬頭観音と国宝の一夜本堂
第70番札所 七宝山(しっぽうざん ) 本山寺に到着。
本山寺の歴史
大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、弘法大師が刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創されました。
当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜で建立したという伝説が残ります。
戦国時代、天正の兵火で長宗我部軍が兵火を受け、本堂と仁王門以外の大部分の施設を焼失。
その後、江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興され、天保年間(1830年~1844年)に本山寺と改称されました。
仁王門
室町時代中期建立、全国でもほかに例のない三間一戸八脚門で国の戦火を免れた重要文化財に指定されています。
建築様式は和様を基調としていますが、柱の下部に礎盤を設ける点など細部に禅宗様を取り入れているのが特徴です。
手水舎
本堂
戦国時代の兵火からまぬがれ、今も当時の姿を留めている国宝。大師が一晩で作り上げた伝説が残っていますが、現在の本堂は鎌倉時代後期の正安2年(1300年)に再建されたもの。
本尊は頭上に馬の頭を乗せた馬頭観世音菩薩。馬頭観音を本尊とするのは四国霊場で本山寺だけ。祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、抵抗する住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため、本堂は兵火を免れたという逸話が残されています。
それ以来、この阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれ、信仰を集めています。
大師堂
納経所
四国霊場でも4つしか無いとされる五重塔の一つで高さ約38m。
明治時代、本山寺住職の頼富実毅(よりとみじっき)が四国巡礼中に盲目を回復し、奇跡的に目が見えるようになりました。彼はその恩に報いるため、明治43年(1909年)にボロボロだった五重塔を再建したのだとか。
さて、このお寺に入ってすぐに次のお寺の途中にある「俳句茶屋」さんの亭主さんに声をかけられ面白そうなお誘いを受けたのでいくことにしました。そのお話は次の記事で…
17:09 お寺を出発して宿へ向かう。
ゆめゆめ〜〜
ミニストップで少し休憩
ハロハロラムネ、王道。
高瀬町に突入。お茶が有名なのかしらん。
看板が…
18:44 本日の宿、ほ志川旅館さんに到着。
宿はピエロがお出迎え。
夜ご飯。近くのマルナカで購入。これ後で気づいたんですけど鉄分とりすぎましたね…
こうして一日が終了。今日はかなり歩いたしお寺も沢山まわったので疲れましたが次の日もお寺ラッシュ…がんばらねば。
今日の歩数
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
宿3800円
ロープウェイ2060円
昼食490円
夜食と明日の朝食540円
飲料500円
★合計7390円
明日は香川最初の難所。そしてお寺のラッシュが続いて、丸亀市に突入します。
それでは、明日も一歩一歩、歩きます。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
香川県ゲストハウス三条
うどんめぐり、遍路・観光のアドバイスお任せください。連泊歓迎!連泊割引あり。(WIFI.駐車場無料)オタクの方も歓迎です。
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