※この記事はシン・ウルトラマンを見て間もない自分が感じた感想や考察をまとめるために作成した記事です。大きなネタバレが書かれていますのでこれから見たいという方やネタバレが嫌な方はブラウザバックをお願いします。
なお考察・感想に関しては映画を見てすぐ感じたことやネット等の意見も見て改めて解釈をしたものと二通り載せていますが、どちらも一個人の感想や考察なのでその点はご了承ください。
以上の点をご了承いただいた方のみ記事の閲覧をお願いいたします。
- ■映画を見て最初に思い浮かんだ感想
- ■映画開始初手1分間の軌跡
- ■バルタン星人やダダが出なかった理由
- ■ウルトラマンの心が人寄りになってきたタイミング
- ■メフィラス星人と幼年期の終わり
- ■ゼットンと1兆度の火の玉
- ■ラストシーンの「お帰りなさい」
- ■ゾフィとゾーフィ
- ■M八七
■映画を見て最初に思い浮かんだ感想
5月14日、公開開始二日目、横浜にて見てきました。
前提として私は
・ウルトラマンは子供のころすごく好きだった
・昭和~平成初期ウルトラマンシリーズをビデオや本で見ていたほどの知識
・事前情報はYouTubeのトレーラー映像のみ
・庵野監督はそんなに知らない、シン・ゴジラ視聴済みで面白かったと思っている
・映画知識はさほど深くないので技術面はあまり気にしないタイプ
といった感じで、トレーラーを見て期待は大でスクリーンに向かいました。
そして上映を見終わって一番に思った感想は…
トレーラー動画
「この映画たった2時間だったのか…!?」
とにかく積み込まれた情報量の波、息継ぎできない展開に終始飽きさせない演出と目を離せない面白さ、そして数々のウルトラマンリスペクトなオマージュやファンを喜ばせる数々の要素。
2時間がとてつもなく早く感じたような気もする一方で、とても長かったようにも感じる満足さ。
私の評価的には「最高」と思えるほど満足できる作品でした。
ですが…
上映終了後、他にも身内の方で映画を見た人に感想を聞くと皆それぞれ見る視点がだいぶ違っていて6人中2人は「めちゃくちゃ合わなかった」とのことでした。
というのもこの映画は巷でも賛否両論で僕のように「ウルトラマンを期待して見た人」は概ね評価がいいように見受けられますが、「話題の映画を見に来た人」「シン・ゴジラ」のようなものを期待してた人、庵野監督が好きな人、映画技術とかを期待して見ると合わなかった方も結構いるみたいです。
まあここらへんは見る人のスタンスに寄って大きく変わってしまうので深く言及は致しませんが「シン・ゴジラ」と比べると大衆受けは少し難しそうに感じました。
■映画開始初手1分間の軌跡
まず最初に流れたのがぐにゃりと曲がった特徴的な演出からの…
「シン・ゴジラ」のタイトル!
そして出てくる「シン・ウルトラマン」のロゴ!
もうこれだけでウルトラマンオタク、心の中でスタンディングオベーションですよ。
はいそうです、これはホラーチックで不気味な両脇で渦巻きができて、それが伸びてウルトラQになるというOPが流れた後に「ウルトラマン」のロゴが出るという初代ウルトラマンのOPの踏襲なのです。
ウルトラマンOPロゴ
「ウルトラQ」の世界観を継承して「ウルトラマン」が作られたように、「シン・ゴジラ」の世界観を継承して「シン・ウルトラマン」も作られたという事ですね。
そしてタイトルロゴからの怪獣と人間の戦いの軌跡をラッシュ!ラッシュ!ラッシュ!!!
最初の約一分間、あまりに怒涛のスライドショーでぽかんとしてしまった人もいるかもしれませんが、ウルトラマン、いえ、ウルトラQファンはもう思わずガッツポーズをするくらい嬉しかったでしょう。
禍威獣ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、ラルゲユウス、カイゲル、パゴスあそこで出てきた怪獣、初期ウルトラマンの怪獣だと思った人も多いかもしれませんがウルトラQで出てきた怪獣なんですよね。
現物の写真なんですが、僕が子供の頃、この本を腐るほど読んでいて、その中にウルトラQの怪獣も入ってたんですけどなんというか他よりも不気味で印象に残っていたんです。
ゴメスは「ウルトラQ」で出てきた最初の怪獣。ここから始めてるのもリスペクトでしょう。
マンモスフラワーはウルトラQで出てきた「ジュラン」
古代の吸血植物で原案がマンモスフラワーだったんだとか。
冷凍怪獣ペギラに怪鳥ラルゲユウス、ここまでちゃんと放送順に登場していてちゃんとウルトラQを辿っているんですよね。ちなみにラルゲユウスだけ結局とり逃して今もまだ脅威としてどこかにいるんですよね。草。
カイゲルは「ゴーガ」、そしてパゴス。恐らくウルトラQの中でも怪獣らしいビジュアルのものを選びウルトラマンらしさを出そうとしたのかな、と思います。
ここまでは人間たちが倒していましたがそれも同じで、ウルトラマン放送の前にやっていた「ウルトラQ」では人間たちが知恵と科学を振り絞ってウルトラマンなしで怪獣を倒していました。
「シン・ウルトラマン」では対処法も現代版でアップデートした形でしっかり倒されており、「ウルトラQ」も好きだった私はここまでの流れでぐっと作品に引き込まれていました。
さて、ここから順々に語っていくと文字数制限超えちゃいそうなので個人的に気になった考察部分をピックアップして書いていきます。
■カラータイマーがない理由
今回のウルトラマンにはカラータイマーがないため、地球にいれる時間制限がなく、体の色の変化でエネルギーの消耗具合を表していました。
なぜカラータイマーをなくしたのか? 私が映画を見て思ったのは、
「3分間の制限時間内に戦いを終えるのは絵的に厳しい」ということもありますが、一番は
「今回のウルトラマンに弱点は必要ないからつけなかった」
だと思いました。
そもそもカラータイマーはウルトラマンが設定上怪獣に対して無敵すぎたため、『時間制限』という弱点としてつけられたものであり、今回終盤まで人々から「神」として扱われるウルトラマン。そうなっていく過程で「完全無欠」のように描かれる彼に弱点など必要なかったので外したものと考えました。
最後の手紙でも書かれているように、ウルトラマンは神でもヒーローでもなく、ただの外星人だったんですけどね…
そこまで考えて他の人の意見を調べてみたら、普通に回答の記事が出ていました。
初代ウルトラマンのデザインを手がけた成田亨さんのコンセプト再現というリスペクト的な理由だったそうです。ここからも作品の根源に目を向けていることが窺えていいなあ、と思いました。
公式サイトにも答え全部のってました。
■バルタン星人やダダが出なかった理由
今回,禍威獣(かいじゅう)の中に人気の怪獣である『バルタン星人』『ダダ』は出ませんでした。
この二匹は人気の高い怪獣であり、映画の呼び寄せとしてもかなり適していると思ったのですがなぜ出さなかったのでしょうか。
一つ考えられるのは尺の都合も大きいとは思うのですが、話を繋げやすい怪獣をチョイスした、というのも大きいと思うんですよね。
今回庵野秀明さんは「総集編ぽい雰囲気にはならないよう気をつけた」と言っていたとブックレットに書いてあったそうです。
映画の内容上、どうしても怪獣が登場し、それをウルトラマンが倒していくという流れになるのはわかっており、それが続くとどうしても総集編のようになるというのは私も少し感じました。
しかし、この映画はウルトラQのゴメス出現から最後のゼットンまで怪獣には「次に繋がる役割としての立場」があり、点を一本の線にしっかり繋いでいるんですよね。
そんな中でダダとバルタン星人を出してしまうと「あ!この怪獣見たことある」ってなって独立した存在ではっきり認識してしまい、それの連続で「総集編感」がでるのを防ぐためあえてださなかったのかなーと感じました。
シン・ウルトラマン、観てきた。カットが多く、アングルもあれで目まぐるしかったが、中盤以降主題に見合った文体=カメラワークだということがわかる。怪獣好きとして何より嬉しかったのはザラブ星人の登場。しかも飛び方はダダ、倒され方はバルタン(2代目)へのオマージュになっていて、心憎い。 pic.twitter.com/ZL5Whx53Hr
— 森井良 (@ryo_morii) 2022年5月15日
…とか思いながらちゃっかり要素を小ネタとして出していたみたいです。制作者たちのウルトラマン愛の高さ、恐るべし。
■ウルトラマンの心が人寄りになってきたタイミング
シン・ウルトラマンはウルトラマンことリピアが人間を知り好きになっていくという話でした。
しかし一体どこのタイミングで「えっ、いつ人間にそこまで肩入れするほど好きになったの…!?人間を好きになる要素あった?」というところが話題になり、身内とも議論しましたが結局これだ!という答えはでませんでした。
私の考えでは神永が身を挺して子供を庇った最初の時点で、元々単体で強いから守ったり守られたりの必要のない種族で、命を賭けるという行為の意味が理解できないウルトラマン(リピア)にとって自己犠牲の精神を示した神永の行動は大きなエポックメイキングであったんだと思います。
そこの時点ですでに神永(人)に一目惚れといいますか、彼にとっては矮小な存在であるはずの人間と融合をして人の心を理解しようとするまでに大きく心を打たれていたのでやはりここが大きな心のムーヴポイントだったんでしょう。
融合した時点で人としての血肉と精神が体に通い、ボディも赤くなりました。
その後の展開で人と関わっていくうちに群れや他者を知り、関係を築いていくことで、『そんなに人間が好きになったのかウルトラマン』とゾーフィが若干引くほど(曲解)までに人々をより愛していったのだと思います。
わかりやすい例えだと、ウルトラマンがあるアイドル(神永)を知って
「うわ、この子いいわ…好き…!」ってなって、
そのアイドルがアイドルグループ(地球人)に所属しており、そこでの活動やメンバーとの関わりを知って解像度を深め、
「うわ…このアイドルグループ一生かけて推すわ…!」
っていうドルオタになった感じでそれを外から見てた、もしくは過去に同じような経験のあった友達(ゾーフィ)が「そんなに好きになったのか…」となっているようなイメージで解釈しました。
■メフィラス星人と幼年期の終わり
映画を見た帰り道、友人が映画でも示唆されていた「メフィラス星人が自分を最上位種とする」という行動や「人が高次元の存在に昇華する」という描写に元ネタが多分ある、と話しており僕が
「アーサー・C. クラークの幼年期の終わり?」と言ったら
「それだ!」
となったので多分元ネタの一つとしてSF作品の「幼年期の終わり」があると思われます。
こちら現物です。ざっくり内容説明すると
突然人類より遥かに発達した宇宙人ーオーバーロードがやってきて『私は最強でだれも勝てません。あなた達は明日から働かなくていいよ。食べ物の心配もいらない。病気になったら治してあげる』となり、その目的は地球人類をより高位の存在、「オーバーマインド」に進化を促す為であった…
という感じです。
これだけでもメフィラス星人の陰謀と似通ってるところが見受けられますね。ほかにも宗教要素や様々なことを織り交ぜてるので考察できる部分は多々あると思います。
ちなみにメフィラス星人は人間を重要資源としか捉えてないのは確かなんですが、ベクトルは違えど、地球人以上に地球人らしい仕草、行動、思考をします。
「割り勘でいいか、ウルトラマン」
この割り勘もお金の大切さを本当に理解し、「この星でルールにのっとり暮らしていく」という考えを持っていなければやろうとは思わないでしょう。(単にマジで金なかっただけかもしれませんが…)
ウルトラマンよりも深く人間を理解し、社会に溶け込んでいることを示す描写でしたがメフィラス、人類の文化お前めっちゃ好きだろって思いました。
ウルトラマンは公務員だから奢ったら賄賂になるためメフィラスは割り勘を提案した説、死ぬほど好き#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/N7uCy5kdCx
— さすらいのヒモ🔞 (@7WJp_Ebou) 2022年5月15日
個人的にこれすき。
■ゼットンと1兆度の火の玉
ラスボスのゼットン、今回原作と比べてはるかに巨大になっており、あれは世界終焉の絶望感を増すためとか色々考えられるんですけど、なによりよかったのが
1兆度の火の玉ネタ!!
これ、昔話題になってて読んだことある『空想科学読本』でネタになっており、「こんなんやったら地球すぐさま滅びる」って結果が出てたんですよね。
ウルトラマンを倒したゼットンは「1兆度の火の玉」を吐くという。この武器について、柳田理科雄は『空想科学読本』などで「火球の直径が1mなら、1秒燃えただけで、90光年以内の生物が死滅する」と書いた。だが、このたび再計算すると「402光年以内」となった。間違いを深くお詫びし、計算を示します。 pic.twitter.com/BBLeXsN0jL
— 空想科学研究所 (@KUSOLAB) 2018年5月6日
まあ昔の設定ってそういうのガバガバだしそんなの気にしてられないでしょ…ってことでなあなあになってましたけど、あれから50年たった現代、発達した科学に生きる今の時代のウルトラマンは一味違いました。
『1兆度の火の玉で地球滅びるのが正しいのならその通りそれで地球滅ぼせばええやんけ!』
ふざけんな、普通温度下げるだろ。
なんでゼットンでかくしてるんだよ。そしてなんでついでにエヴァというかなんかフォルムそれっぽくしてるんだよ。
なんというかそういうところも少し遊び心入ってるのかなあと思ってつい笑ってしまいました。
■ラストシーンの「お帰りなさい」
最後のシーン、ウルトラマンと分離した神永がもしウルトラマンだった頃の記憶を持っていないんだとしたら。
そして
浅見さんの「お帰りなさい」って言葉がどれだけ悲しい言葉であるか。
それを想像し、友人も僕もとても切ない気持ちになりました。
と、いうのも初代ウルトラマンで主人公のハヤタはウルトラマンと分離した後はウルトラマンだった頃の記憶を全て忘れているのです。もしそれを踏襲しているとして、
浅見さんは最初から最後まで「ウルトラマンであった神永」としか行動しておらず、あの「お帰りなさい」もほぼ「ウルトラマン」に対して伝えたかった言葉であるのに彼はもういない。それでもし記憶もなかったとしたら…
そしてゼットンを倒した後も禍威獣や外星人は現れる日本のこの先を考えるとしんどくなるエンドでもありますね。
しかし最大の敵を乗り越えた人類はこれからも知恵を絞り、群れで苦難を乗り越える事でしょう。そしてもしかしたら次の光の戦士(シン・ウルトラセブン)とかも現れるかもしれません…
とりあえず取り逃がしたラルゲユウスなんとかしようね。
■ゾフィとゾーフィ
今回出てきた「ゾーフィ」、初代マンの「ゾフィー」と名前が変わったのは「今回ウルトラマンを助ける立場ではなく敵となるから」という立ち位置の違いから名前を変えたのだと思っており、他の人の意見を見るためTwitterを見てるとこんな意見がありました。
あと絶対勘違いする人出るから言うんだけど、
— 🌊🦀クロロざうるす🦀🌊 (@K66zaurus) 2022年5月13日
ゾーフィとゾフィーは別人ですからね…!
みんな同じと思ってて『お前がしたくせに何言ってんだ』って感想が凄いんですけど、助けにきたのがゾフィーですからね…!色を見て…!
まさかゾーフィ(マニアしか知らない)を出すとは…#シンウルトラマン pic.twitter.com/AODc2Sezos
……え!? 元ネタあったの!? てか違う個体だったの!?
一瞬本気でわからなくなったんですが、どう考えてもそこまでややこしくしないだろと思い、自分が至った結論は最初から最後まであれは「ゾーフィ」であり同一人物ということになりました。
ただ絶対そうだ!とは断言できないんですよね。
最後の方「ゾフィー」って聞こえたようなとこもあったし色も覚えておらず、ちょっとしたノイズになってるのでもう一回最後だけ見直したい気分です。
ただゾーフィの名前の元ネタはゼットンを使う事からもこれで間違いなさそうですね。
元々こちらは最終回が終わってすぐウルトラマンの本を出そうとしていた出版社のあいまいな情報収集の結果、ゼットン星人と混同してできあがったものらしく、それを今回活用したのでしょう。遊び心がすぎる。
■M八七
米津玄師さんが歌う主題歌「M八七」
ウルトラ戦士たちの故郷であるウルトラの星があるM78星雲の誤植前の呼称「M87星雲」が元ネタとなっているとのこと。
これはひとつ前の考察の最初から最後まで「ゾーフィ」同一人物という結論に至った理由の一つでもあるのですがこれ、ゾフィー視点の歌詞ともとれるっぽいんですよね。
私は最初、「なぜウルトラマンの星はM78星雲なのにM87なんだろう?」と思い、映画を見た後ゾフィーが「地球は我々のようになるかも」と言っていたことから地球こそがこの先進化した「M87星」になる可能性を持っておりそこに思いを寄せたウルトラマンの視点で歌っているのだと思っていました。
ですが考察調べてる時に見つけたこのツイート。
米津さんのシントラマンの曲はどして「M八七」なんだろうね〜と息子に言ったら「ゾフィーの技がM87光線だからゾフィーがウルトラマンに向けて歌っている 君が望むなら というとこがあるし、キャッチコピーの そんなに人間が好きになったのかウルトラマン もゾフィーだから」
— ☞加 藤☜ (@kato_ryoko) 2022年5月11日
だってすげーオタク
こちらのツイートを見て改めて歌詞を見るとほんと、パズルのピースが埋まるようにすとんと納得がいったんですよね。
実際この通りなのかは関係者しかわからないと思うんですけど、このツイートの内容が一番腑に落ちたし、もしそうなら裁定者になるまでにゾフィーも昔強くなりたくて、何かの星と交わりウルトラマンのような状況になっていたことがあったのかな、ということ、その上でウルトラマンの意思を尊重した彼の気持ちが思い浮かび、少しせつなくなりました。
あとCDジャケのロゴマーク遠目から見ると帰マンの「MAT」と読める工夫もよい…
そして同時に「ウルトラマンを見たことのない人に、自分達がウルトラマンを初めて見た時の衝撃を伝えたい」というシン・ウルトラマンのコンセプトの通り、これを見た子供たちに向けてる意味もあるのかなあと思いました。
『君が望むなら それは強く答えてくれるのだ』
以上で記事は終了となります。まだまだ書きたい事、考えたことはありますがひとまずこれくらいで。それでは最後に朝書いたクロッキーを載せて終わりにいたします。
『シン・ウルトラマンの感想・考察してくれま』-了