エネルギーチャージして連続お寺巡り再開!
35日目、前編からの続きです。
ファミマで魔剤(モンスター)を手に入れパワーチャージ。このまま進んでいきます。
15:05 次のお寺に到着
第49番札所 浄土寺(じょうどじ)空也上人と落書き寺
第49番札所 熊野山(さいりんざん) 浄土寺に到着。
浄土寺の歴史
縁起によると、天平勝宝年間(749年~757年)に孝謙天皇の勅願寺として、恵明(えみょう)上人が行基作の釈迦如来像を本尊として祀り、開創。
元々の宗派は法相宗でしたが、のちに弘法大師がこの寺を訪ね、荒廃していた伽藍を再興した際に真言宗に改宗しました。
平安時代中期には、空也(踊念仏の開祖)がこの寺に3年間滞在し布教に努めました。
鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復。
応永23年(1416年)に兵火で焼失しますが、伊予国の戦国大名・河野通宣によって文明14年(1482年)に再建されました。
山門
力強い金剛力士像
手水舎
本堂
文明14年(1482年)に再建された本堂と内陣の厨子は、和洋と唐様が折衷した室町時代の代表的な建物で、国の重要文化財に指定されています。
本堂に安置された「空也上人立像」も国の重要文化財。この地に庵を結び、阿弥陀仏の教えを説いて回った空也上人が、ここを去るとき、里人から請われて刻んだものという。(一般非公開)
大師堂
今回は行かず。
納経所
昔のお遍路さんの落書き ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
本堂厨子には、室町時代から江戸時代にかけての昔のお遍路さんの落書きが残されていますが本堂が空いてないので見れませんでした。
さて、次のお寺へ。
次のお寺は案内が多く行きやすかった。
15:53 次のお寺に到着。
第50番札所 繁多寺(はんたじ)地獄・極楽巡りができるお寺
第50番札所 熊野山(ひがしやま) 繁多寺に到着。
繁多寺の歴史
天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、建立。弘仁年間(810~24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274〜87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。
また、時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。
江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。
山門
手水舎
本堂
お前…誰だ…???
大師堂
本堂前にある鐘つき堂 天井画
1696年に造られた鐘楼は近年改修された際に、天井画が描かれました。
中国古来の孝子24人の伝承をもとにして、江戸時代に作られた「御伽草子」の挿絵24枚が描かれています。
歓喜天堂
50番繁多寺さんは江戸時代に徳川家の庇護を受けて、4代将軍家綱自ら、念持仏である歓喜天さまを祀ったと言われる。
鳥居があり、歓喜天像が祀られていて富と権力を与え厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益がある。歓喜天というのは、インドの神様「ガネーシャ」のことだそう。
白菜の絵馬が沢山。
納経所
境内からの景色 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
繁多寺は淡路山の中腹にあり、境内からは松山城や松山市街が見渡せる。
寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できます。
坂を越えた先に松山市街地が
もう街中ですね。
ここから入りましたが道間違えてました。
16:50 最後のお寺に到着。
第51番札所 石手寺(いしてじ)お寺のワンダーランド!?
第51番札所 熊野山(くまのざん) 石手寺に到着。
石手寺は道後温泉にほど近く、屋根のついた参道には、仏具やみやげ物、名物のおやきなどを売る店が並んでいて、お遍路さんだけでなく、湯治客や観光客でにぎわっているお寺のワンダーランドてわす。
石手寺の歴史
神亀5年(728年)に伊予国の豪族、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀りました。
これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基。
創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗でしたが、弘仁4年(813年)に弘法大師が訪れた際に真言宗へと改められました。
石手寺の名前の由来は、四国遍路の第1号と言われる衛門三郎の輪廻転生が由来となります。弘法大師にへの罪を償うために、大師を追いかける形で四国を23回もグルグルと四国を廻り続けた衛門三郎でしたが、とうとう出会えないまま徳島の焼山寺で力尽きてしまいます。
もはや死を待つだけの衛門三郎の眼前に弘法大師が突如現れ、彼の罪を赦し、願いを一つ叶えることを約束しました。
その問いに対し、「大名に生まれ変わり、人々のために尽くしたい」と願い出をした衛門三郎に、大師は小石に梵字を書き、死にゆく彼の右手に握らせました。
月日は流れ、寛平4年(892年)伊予の豪族・河野家で右手に石を握って男の子が生まれました。瞬く間にこの話は広がり、生まれ変わった衛門三郎が持っていた石が納められたこの寺は、民衆から「石手寺」と呼ばれるようになったのです。
仁王門
重層入母屋造本瓦葺の仁王門。
鎌倉時代、1318年に建てられた運慶の傑作で「国宝」に指定されています。
本堂
大師堂
マントラ洞窟(裏山方向)
石手寺本堂左手にある長さ160mの迷スポット。長い暗闇のようなトンネルを歩きながら、胎蔵界と金剛界を体感できるというもの。
閉まっていたので入ることはできませんでした。
石手寺、ドン引きするくらい広くて色々ありすぎるので写真多めです。
訶梨帝母天堂
鬼子母神をお祀りするお堂。子授け・安産にご利益があるといわれ、妊婦さんはお堂の周りの石を持ち帰ってお守りにし、無事に出産した時は石を2つにして返すという風習があります。
謎の洞窟
大師堂(落書き堂)
石手寺の大師堂はなんと落書きができる。
かつては壁に夏目漱石や正岡子規など、多くの文化人の落書きが記されていたのですが、残念ながら第二次大戦中に塗りなおされたとか。
その伝統を引き継いで、現在でも多種多様の落書きが壁に残されています。
ここに書くのはあかんでしょ…
ここはむしろどうやって書いたんだよ。
ブラタモリでも出てたんですね。
宝物殿
5時を過ぎるとどのお店もやってない。
僕が石手寺で一番テンション上がった撮影です。
石手寺、ちょっとお遍路中に巡るには色々ありすぎて困りますね…
夕暮れを見にお城へ
松山市街地に入るとモンスターも自販機で売ってるようになりますね。
もう夕方
帰りに一箇所寄り道
正岡子規記念館がありました。
源平合戦で源氏方についた河野通信が鎌倉幕府の御家人として伊予国を任された1335年前後に温泉郡湯築へと本拠を移し築いた城。
展望台へ。
展望台から松山市街地を臨む。
松山市の夕暮間
あまりに疲れてて水分も不足してたのでコーラ購入。湯築公園で一休み。
見れるとこを見て宿へ向かう。
5年前に食べたラーメン屋を発見。
やっす!
初めて見たので買ってみる。
今回泊まるのはサンガーデン松山さん。
シャワーを浴びてご飯を食べに行く。
鳥尽くしのディナーへ
夕食はとり泉さん
「とり泉」さんのコースメニュー(6000円)を注文。有名な餃子はじめ串物、地鶏、鶏飯その他色々と。こちらは突き出し。
とり泉餃子
鶏のたたき
海苔の下にお肉。
かわ
山形の枝豆
ぼんじり
骨つきぼんじり
京都のししとう
砂ずり
肩(そで)
ササミののりまき
地鶏の炭火焼
締めは鳥雑炊の鶏飯。
とても美味しかったです。ご馳走さまでした。
今日の夕くれま。燃え尽きたぜ…真っ白にな… ということで昨日おせったいでいただきました白いTシャツ使わせてもらってます…!本当にありがとうございます。
晩酌セット
今日の宿3000円代なのに晩酌セットまでついててうれしい。
今日の歩数
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
宿3540円
アイス110円
夜食とり泉コース料理6600円
飲料1150円
★合計11400円
今日、遍路道からのお寺六ヶ所まわり+番外霊場、城跡巡りとめちゃくちゃ歩いたので、展望台登る途中息絶え絶えで倒れかけてたけど無事2日分の旅程を一日で終わらせられてよかった。
お遍路も残り20日を切りましたがやっとこさ一安心です。明日は休養も兼ねて松山市観光。
それでは、明日は台風に備えゆっくり観光日。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
香川県ゲストハウス三条
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