おはようございます!
本日はふじや旅館さんにて起床。
8/12(月)、今日は難所の札所二か所を巡っていきます。
それでは今日も元気に、おへんろ!
朝ごはん
じゃりパン、初めて見かけたので食べてみました
長すぎる道のり 難所を越え久万高原へ
6:10 出発
歩いてすぐに東屋がある。ここも含めてしばらくお手洗いはないので注意。
ひたすら早朝の山中の舗装路を進んでいく。
へんろ道発見。今回こちらは行かず舗装路を使います。
道端に倒壊した小屋が
ある意味すごいバランスでこの形を保っているの…か?
こちらも危なそうな小屋が
久万高原まで長い。
8:09 真弓休憩所に到着。
ここは駐車場と東屋があるだけ。
8:21 休んだあと出発
真弓トンネル
そこそこの長さで車はあまり通らず、暗いところが多くて少し不気味でした。
久万高原町突入。
ひぇっ…
ここらへんは玄関先に人形が沢山あったのですがそういう文化があるんでしょうか?
この辺りでトマト農家の方からおせったいでトマトを三つおすそ分けしていただきました。
緑のやつは少し置けば赤色になるとのこと。
久万高原はトマトが名産でビニールハウスは大体トマトなんだとか!
ありがたくいただきます!
みきゃんの飛び出し防止看板が増えてくる。
飛び出し防止のジェットストリームアタックかな?
恐ろしく溶け込んだくまモン。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
この辺で車に乗ったおばあちゃんから「暑いけど頑張ってね」のエールをいただく。その一言で僕の歩行距離が30分は伸びます。ありがとうございます!
これマジ?上半身に比べて下半身が貧弱すぎるだろ…
デカかぼちゃ。
冷却保存の穴ですかね?
この先のT字路で高知行きと松山行きのルートに別れる。
100円自販機がこの辺りから見え始めてくる。
色々あってありがたい。みっくちゅジュースを買う。
歩道が狭くてなかなかここを歩くのは厳しいがここしかルートがないのであきらめてすすむ。
途中良心市で水飲み場を発見。ありがたい。
ここのトンネル短いけど歩道狭くて車通り激しいのでほんと危なかった。
国道から逸れて田園が広がる道へ。
大寶寺の看板が見えてくる。
橋を渡っていく。
ここから登り道。
少し登るとお堂が見えてくる。
納め箱とかボロボロでした。
12:05 次のお寺に到着。
第44番札所 大寶寺(だいほうじ)中間点のへそ寺
第44番札所 菅生山(すごうざん) 大寶寺に到着。
明石寺から大宝寺までは、歩き遍路なら3日かかる難所。ここは四国霊場のちょうど半分にあたるため、「中札所」「へそ寺」ともいわれています。
大寶寺の歴史
古墳時代、百済から来朝した聖僧が携えてきた十一面観音像をこの山中に安置したのが始まりです。
大宝元年(701年)に安芸から来た明神右京、隼人の兄弟の猟師が菅草のなかにあったその観音像を見つけて草庵を建てて祀りました。
文武天皇は奏上を聞き、勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建しました。
それから120年ほど経った弘仁13年(822年)、弘法大師がこの地を訪れ、密教の修行を行い、大寶寺を四国霊場の中札所と定めます。これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めたそうです。
仁平2年(1152年)に失火により寺は焼失。4年後の保元元年(1156年)、後白河天皇が脳の病気平癒を祈願したところ病が治ったため、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としました。
その後、長宗我部元親のその後「天正の兵火」で再び焼失するも、元禄年間(1688年~1704年)に、松山藩主の支援で雲秀法師が再興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなりました。
明治7年(1874年)には、まさかの三度目の全焼を経験しますが、地元の人々によって再興を果たします。焼けすぎぃ!
山門
室町時代に造られた入母屋造楼門。
大きい草鞋が参拝者をお出迎えしてくれます。100年に一度かけ替えられるとか。
わらじが上から見下ろしてきます。
階段を登ると本堂です。
手水舎
本堂
境内に2つある鐘のうちの一つ
掘出観音堂
大師堂
だいぶ横に長い。
参拝終了
平和の鐘 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
第二次世界大戦で戦死した地元の英霊を供養するために建てられたとのこと。
お接待所
納経所
12:47 一通り見て出発
さて、参拝も終わったので次のお寺にいって…そしてまたルート的にここまで戻って来なきゃいけないので往復であと5時間。すでに23キロ歩いてるんですがねえ…
まあ頑張って進みましょう。
岩屋寺へ そして再度来襲宗教勧誘!
途中水湧き場を発見。水を買い忘れてたので補充。
展望台へ向かう道があるんですね。
トンネル発見。その横に休憩所も。
13:15 こちら遍路小屋でした。
普通に休憩できるスタンダードな小屋でした。
13:26 さて、トンネルを抜けていく。
夜遅くに寝て朝早く起きたため、睡魔がさっきから凄くて、眠すぎてふらふらして危ないのでエナドリチャージ。まだ飲んだことなかったのでスティングを飲んでみる。
目をぱっちりさせ再び進む。
この辺りで以前高知で出会った創価学会のおじさんとまた出会い、横に並ばれたので歩きながら法華経の良さと真言宗のダメさを説かれる。
まあええかと思い、おじさんと一緒に歩きながら進んだおかげで意外と時間の進みは早かった。
喋りながら写真撮ってた。この岩、良い。
20分ほどでおじさんと別れる。何回も警察呼ばれてるって言ってました。草。
うっしトンネル!
そんなこんなで岩屋寺付近までくる。
橋を渡っていく
岩屋寺に向かう途中、色々お店が並んでました。
この怪しい雰囲気がたまらない。
こういうごちゃごちゃしたのいいですよね。
ちっちゃい仁王像がお出迎え。
石段や坂をひたすら登っていく。
15:35 次のお寺に到着。
第45番札所 岩屋寺(いわやじ)梯子を登った先には
第45番札所 海岸山(かいがんざん) 岩屋寺に到着。
境内までは、森の中の細く急な参道を徒歩で登る。木の不動明王と石の不動明王を刻んだ弘法大師は、木像を本堂に安置、石像は山の岩に封じ込めこの山全体を本尊にしたといいます。
岩屋寺の歴史
平安初期、法華(ほっけ)仙人と呼ばれる空中を自在に飛べる神通力を持った女性がこの地に暮らしており、弘仁6年(815年)、仙人は霊場を探して旅する弘法大師と出会います。
彼女は大師の修法に感動し、全山を献上。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としました。
明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂をのこし全山を焼失したため、現在の堂宇のほとんどはその後の再建によるものです。
山門
山門を抜けてからもひたすら石段を登っていきます。
ここらへんから数多の仏様の像が立ち並ぶ
こんなん中ボスやん…
ここも像の数がすごい。
勝てない(確信)
岩山が見えてきてようやく本堂付近に到着。
岩山があるからかほかのお寺と比べて力強い印象ですね。
手水舎
ここでお昼ごはん。
本堂
大師堂
大正9年(1920年)に建立された岩屋寺の大師堂は、四国88ヶ所の中でも唯一本堂よりも大きいのが特徴。
金剛界峯 逼割行場と奥の院白山権現 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
納経所でお金を払えば三十六童子行場に必要な札56枚と逼割禅定の門を開く鍵を手に入れることが出来、ここから出発していけます。
ということでついにきてしまった…本堂横には、縁起に出てくる空飛ぶ法華仙人が修行した岩窟があり、高さ約5メートルの木製はしごが掛けられています。
高いところ苦手だから登りたくねえなあ…
でも行く!!
高いとこは苦手ですが、ここで行かないと男がすたるということで、子鹿のように、足をぷるぷるさせながら登り切りました。
岩窟内からは切立った崖に沿って建てられた建築物、そして国の名勝にも選ばれた幽玄な雰囲気を醸し出す広い境内を見渡すことが出来ます。
法華仙人洞
はしごを登った先には、写真左下に写る木製の祠らしきものが置かれていました。
賽銭も沢山。
改めて見るとやっぱ高いですね。降りる方がむしろ怖い。
納経所
穴禅定(お水供養所)
本堂の真下にある20m位の洞窟。かなえる不動・地蔵尊(先祖供養)・弘法大師の石像が最奥に祀られていています。
入場無料なので入ってみる。
中はすごく暗い。
目が慣れれば結構見やすいです。
こうして岩屋寺をあとに。
このあと橋付近でTwitterで約束してた方と合流。色々おせったいと、宿付近まで車で送ってくださりました。
同じ道だしチェックインも遅くなると迷惑がかかるのでお言葉に甘えさせていただきました。ありがとうございます!
夜ご飯。豚太郎の味噌ラーメン。こちらもご馳走になりました。
ビールと餃子も。本当にありがとうございます。これでまた頑張れそうです。
このあと宿にチェックイン。
この日は民宿一里木さんで就寝。疲れてたので少し漫画描いてすぐに寝てしまいました。
今日の歩数
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
宿4000円
飲料520円
★合計4520円
札所もやっと半分。難所は乗り越えましたが、まだまだヤバい場所は沢山あります。
ですが明後日には松山に着き、だいぶ落ちつくのでとりあえずお疲れ様といったところでしょうか。
それでは、明日も一歩一歩、歩きましょう。
明日もなんか、頑張れそうだ。
お遍路スポンサー様
香川県ゲストハウス三条
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